旅行の部屋(2002年)

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松本&長野  2002/3/23(土)〜24(日)

1日目 松本城 → ホテル
2日目 ホテル → 善光寺 → 川中島合戦 → 真田宝物館等

 今回の旅行は、BayFMの『BayMorning〜ActiveWeekend』にて、北志賀高原の『La Classe』というホテル宿泊券が当選したため実行しました。
 パワーウィーク中の宿泊券プレゼントだったのですが、ホテル名が聞き取れずセミスイートルームだけが聞こえたので『ホテル名は聞き取れませんでしたが、セミスイートに泊まりたいです!』とか書いてFAXしました。
 当選通知が届いて、初めて長野のホテルと分かったのです。
 スキー場のホテルなので、本来スキー客が泊まるのですが、長野までの移動が大変なので、今回はスキーを断念して観光旅行となりました。




一日目(3月23日)

松本城
 国宝・松本城です。
 さすが国宝だけあって、かなりの重厚感がありました。
 天守閣は木造5層6階で乾小天守閣を渡櫓で結んだ連結複合式と呼ばれる構成で、独立天守の多い当時のものとしては珍しい形式です。
 1590年小田原の戦の後、松本に入部した石川数正父子が、豊臣秀吉の東国支配の拠点として築きました。
 関が原の合戦前の戦国時代に建てられた城のため、実戦に備えて武備が強化されており、最上階には展望用の廻り縁がありません。
 写真右は天守閣にある御座所で、お殿様のお座敷です。

 写真は、月見を楽しんだ月見櫓です。
 写真左が内側で、写真右が外側です。
 寛永時代、3代将軍家光の善光寺参詣が計画され、将軍を迎えるために増築したと伝えられています。
 家光は結局松本城に寄らなかったそうですけど・・・。
 開放的な造りで三方が吹き抜けとなっており、天守閣の造りに比べて防御性がなく、徳川の安定した時代の建築様式です。
 観光客の合間を盗んで国宝櫓で寝っころがっちゃいました。
 最近、こうするのがお気に入りなんですよ。


 長野市でスケートの世界大会をやっていたせいか、外国人がたくさん観光に来ていました。
 外国の古城を見るってのはどんな気分なんでしょうね。
 私もいつか外国の古城を訪れてみたいものです。


二日目(3月24日)

ホテル LA CLASSE
 昨日は移動で疲れたので、ゆっくり朝風呂に入りました。
 部屋にジャグジーがあるなんで幸せです!!
 写真中央はジャグジーの窓から見える景色です。
 このホテルはリフト乗り場のすぐ横なので、
ほかのホテルが下に建っています。
 ジャグジーを利用していても他の建物から
見られる心配はほとんどありません。
 写真右は部屋の様子です。奥の部屋はベッドルームです。
善光寺
 長野を代表する古刹、善光寺です。
 約1400年前に創建された日本最古の御仏を祀る霊場です。
 善光寺はいずれの宗派にも属さず、すべての往生極楽の門として広く深い信仰を得ています。
 本堂にはお戒壇めぐり(お釈迦様の体内めぐり)というのがあって、初めて体験しました。
 真っ暗の中を自分の手の探りだけで進んでいきます。
 休日だったので沢山の人が一緒だったけど、一人では怖くて行けないかも…。
 写真中央はお導師さまが参道でひざまづく信徒の頭を数珠の房で撫でて、
 功徳をお授けになる「お数珠頂戴」です。
 私たちも有難いことに撫でて貰いました。
 写真右は丸い石のを廻せばお経を読んだのと同じ功徳が得られます。

<善光寺本堂>

<お数珠頂戴>
川中島合戦
 甲斐・武田信玄(赤)越後・上杉謙信(青)が5度に渡って戦いました。
 信玄が北信濃を併合する際に、高梨、島津、井上氏を圧迫し、村上、小笠原氏を追放。
 彼らは越後の謙信を頼って失地回復を願いました。 
 謙信も越後国境付近まで信玄の勢力が迫っていたので、信玄排除を目論んでいました。
 結果的には両者決着つかず、信玄は越後国境付近まで領地を併合しました。
   武田信玄の旗:風林火山
   上杉謙信の旗:毘・・・毘沙門天の毘。
 毘沙門天の熱心な信者で、自分は毘沙門天の化身と信じていたそうです。
 『敵に塩をおくる』 信玄と対立する駿河・今川氏は甲斐への往来を禁止。
 甲斐の国に塩が入らなくなってしまいました(いわゆる経済封鎖)。
 見かねた謙信が日本海の塩を甲斐の国に贈ったのです(1569年)。

1561年第4回川中島合戦で謙信は信玄の本陣に斬り込み、信玄に負傷を負わせました。
真田宝物館,真田邸,松代藩文武学校
 真田家が武門の家として名を馳せるようになったのは真田幸隆の代で、
 川中島合戦では信玄側について勇名を轟かせました。
 その子・昌幸は、関が原の合戦の際、長男信之を徳川軍に、自分と幸村は豊臣軍に付けて真田家断絶を防ぎました。
 信之が松代藩初代藩主となり、以後10代250年間松代藩は北信濃を治めました。
 真田家の家紋は六文銭といって、棺に六道銭を収める風習にのっとり、戦いにのぞむ武士の決死の覚悟を表したものです。

 真田邸はもともと9代藩主幸教が母親の住居のために建てたもので、庭園がりっぱです。

 文武をすすめる松代藩には文武学校が残っています。
 大規模な改修工事が行われたとはいえ、藩校を完全な形で現代に伝える稀な施設とのこと。
 文学所、弓術所、剣術所、槍術所、文庫蔵などが個々に建っています。
 アホなポーズを決めていますが、雰囲気は分かって貰えますでしょうか??

<弓術所>

<剣術所>

<槍術所>

<御役所>


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